ぼんちゃんママです。フトアゴヒゲトカゲのぼんちゃんは今の子で三代目です。最初は息子がお小遣いためて購入した子が初代。二週間で亡くなってしまい、その後の息子の落ち込みはただ事ではなく、私が二代目を迎い入れ三年で亡くなり。私の落ち込みひどく子供たちが連れてきたのが今のぼんちゃんです。昨日の続きから
大学病院で診断結果出るまで、非常に長かった。手術の可能性があるので、術前検査も同時進行で行われた。まずは造影剤のMRI検査、PET検査。
PET検査では、隔離された検査室があり完全な予約制。大学病院では「ここよりも最新の検査室を持ってる市立病院で検査したほうがいいよ」と言われた。確かに新しくキレイな検査室。入室も厳重。待合室では、私よりも年配の方ばかり。
腕の血管から薬を入れて、撮影。時間はさほどかからない。が!その後は隔離部屋で持参した飲み物を飲んでひたすら待つ。しかも寒かった。携帯も圏外なので、無の時間。検査後は運転禁止なので、娘に迎えに来てもらい帰宅。
後日、PET検査で大腸反応あり言われた。急遽、大腸カメラと胃カメラを同時に検査。当日、2Lの下剤を飲むのは辛かった。でも「寝ながら行える検査」と言われた為、検査は楽勝と思ってた。が!!眠くならない!ほんの少しぼーっとするくらい。オェオェの胃カメラが終わり、間髪入れずに大腸カメラ「先生!眠くなりません。お腹痛いです」と訴えたが「おかしいなぁ~まもなくお薬効いてくるよ~」なんて…結局は全く寝れず。辛さだけが残る。でも終わってから、きっちり一時間爆睡って(笑)
検査結果は少し大きな大腸ポリープ(1センチ半)で「癌の治療終わり次第取りましょう」と言われ、少しほっとする。
癌の診断結果待ちの3週間で余計な事たくさん考えた。考えてもどうにもならない事。再就職、生活、子供たちの事。これはウツになっちゃうなと思った。しかしながら、働き手の私が入院し、死ぬことがあれば…それは残った子供たちの運命も大きく変わることになるであろう。生きても後遺症で働けないのであれば、子供達のただの「足かせ」にしかならない。市役所等々、考えられるところすべてに相談に行った。
結果…働けなければ「生活保護」。なんとか働けるように回復するよう祈るしかない。なのであまり考えないことにした。「なるようにしかならない」
鼻の癌の診断結果は「嗅神経芽細胞種」という名前の癌。家族全員でググるが絶望的なことしか情報にない。病院では手術→術後に取った細胞診して治療方針決める。
手術は鼻の穴から鍵穴手術で鼻の神経ごと骨と癌を切除し、癌がくっついてる脳の硬膜とくも膜も取り、代替えの太ももの筋膜を張り付けるという壮大な手術だった。しかも鼻からのアプローチで取れない場合は術中に頭を開けてそっちから取り出す…耳鼻科と脳外科でプロジェクト組んでの大手術。
何故かテンション高い主治医。珍しい病気になんか嬉しそう。手術の説明は娘と二人で聞いたが、途中具合悪くなるほど最悪なことの説明受ける。ここでやっと癌の患者で命がけの手術だと実感が沸く。
子供でなく私で良かったのだと。これが子供だったなら、もっともっと辛かったな。私で良かった!長かった結果待ちの時間は私で良かったんだとそう思えるようになるために必要な時間だったのかな。
娘は私の前では、絶対泣かない。私も泣かない。息子は動揺して泣く。我が家は私が大黒柱で超低所得の母子家庭。両親はなく、親戚も少ない。子供達だけで生活したこともないのでそれが一番心配だった。悩んだあげく私は友達の力を借りることにした。「もう見た目は大人だけど、まだまだ子供。困った事が起こった時には力をかしてください」と。みんな快く協力してくれた。持つべきは頼れる友達!!今でも、とてもとても感謝してる。
そうそう!手術決めるのにカンファレンスって受けます。治療方針とかを最終的に担当医等々で決めるのに行われる。呼ばれたのは地下の診察室で私の他にも7人程、ご家族と一緒に。結構な混み具合だ。
この日、娘は仕事で来れず、お世話にさんざんなってるお友達の「ちこちゃん」に付き添ってもらってた。大学病院には何度も来たことがあるちこちゃんのおかげで、あちこち行くように言われたけど迷うことなくサクサク移動できた。
呼ばれた診察室には白衣のお医者さんたちがごちゃごちゃと30人くらいいたかな…「白い巨塔じゃん(笑)」先生達の中心に診察椅子があって鼻の穴にカメラを…
なんだかね。みんなが私の鼻の中見てる様はウケる。ものの2~3分の出来事。今まで散々鼻の中の写真撮ってたはずなのに写真ではなく生で鼻の中を見るという…不思議(笑)私がいるときは、何の会話もなく「はい。いいですよ~」とだけ言われ診察室をでた。続きは明日~
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