7月15日23時 ぼんちゃんは旅立ちました。
享年6歳 うちの子になって6年経ち、この病気の告知を受けて2か月経った。
亡くなる2日前ほどから、片目が開かなくなり、食事もやっと食べてた高カロリーの物とお水さえ受け付けない。無理やりお水を少しだけ飲ませる、口を開けるの辛そうだった。
会社を休む事はできなく、声掛けして毎朝ギリギリ遅刻しない時間に家を飛び出る。
帰宅はダッシュ。息をしてるのを確認することが帰宅後真っ先にやることになってた。
亡くなる前日は、出かける時の声掛けにも反応せず…ただ、目をつぶって息をしてる状態。肺のかすかな動きで呼吸を確認。抱っこしても、体のどこにも力は入らないクタクタだった。
私は翌日から3連休なのもあり、ずっとそばにいれると少し安心してた。
また、ここから少し持ち直すのではないかと。こんな状態だけど、まだまだ生きれるのではないかと期待してた。
7月15日 いつもどおりにバスキングライトの下へ移動
でも、もう自分で自分の首も支えられない。なので、私の手の上で首を支えながらお水を飲ませた。
ほんの少しだけ飲んでくれた。
でも、このあと…いつもの場所に戻して様子をみてると結構な量の血便をした。下に敷いてた物をすぐに取り換えた。苦しそうだった。
この時点でも、目を開けることはなく、うっすらと開けてるのか??といった感じ。
癌の告知を受けて、固形物が食べれなくなり、どんどん弱っていったが食べれてた頃は
食べた後に苦しそうに顎を黒くして呼吸が荒くなり、見てても辛かったがその症状はほとんどなくなり、穏やかに過ごしてたのでこのまま苦しまず、痛くならない事だけを願って毎日看病してた。
急変したのは22時頃、急に体を捩りはじめ血便。そしてひどい痙攣。痛いらしく開かなかった方目を目いっぱいあけてる姿を見た時はどうしてやる事もできず、テンパり私も泣いてた。
片手を伸ばし切って、痙攣。ビクッビクッと大きく体が動く。顎は真っ黒。
気が付けば、その痙攣がなくなり…息もしてなかった。抱き上げたがいつものように肺が動くことはなく、目は見開いたまま。
壮絶な最期だった。
泣いた。どうにかなりそうなほど泣いた。今も泣いてる。
せめて最後は穏やかであって欲しいと願ってたが、苦しく辛い最後になってしまった。
ぼんちゃんの亡骸を見ながら、いつもの体制に戻し目を閉じた。
ご飯を食べれなくなって2か月と2日。本当に頑張ってくれた。奇跡的だと思う。
何もしてあげれなかった。
でも、私はたくさんぼんちゃんに助けてもらった。ありがとう
癌の最後は壮絶な事が多いのかな。亡くなった母の最期も同じ状態だったな。
私も癌サバイバー、再発を恐怖に感じてる。
でも、ぼんちゃんだって頑張ってくれたし、私も頑張ろうと思う。
大事な相棒のぼんちゃん。そっちの時間ではすぐかもよ。わたしもいずれはそっちに行く。
それまでは、後悔しないように命まっとうします。
家族が亡くなるって、やっぱり辛いな
コメント