ぼんちゃんママです。ぼんちゃんは早寝です。20時くらいにはうとうとして21時には寝ます。この頃はぼんちゃん用の布団にくるんで寝ます。海苔巻きスタイルです。スヤスヤ眠るぼんちゃん見てると幸せな気持ちになります。続きです。
平成30年9月6日午前3時7分大地震がきた。その日の夜もいつものごとく熟睡出来ないので、ウトウトした感じだった。病院に窓際の壁がギシッという音がなったかと思うとユラユラ揺れ始めゴーッという音とともに激しい揺れ。ベッドの端にしがみついた。
揺れてる最中に家族ラインに「大丈夫?」と一言送った。「もの凄い揺れてる。怖い」と返信あり。自分の事よりテンパる。揺れがおさまり電気とテレビつける。看護師さんが安否確認で走り回ってる。窓から外を見ると、あっという間に停電になり見た事ない景色になってた。漆黒の中にビル屋上の工事用の赤い光だけ見えた。通常では病室で電話はできないけど、非常事態なので電話させてもらった。
今まで経験したことない揺れだったと娘。ガスの元栓を閉めてもらい、お風呂に水を貯めるよう指示した。自宅はすぐに停電になり、ここからほぼ二日は電気無し。病院は非常電源が確保されててテレビも見れたので、まわりがどうなってたのかは情報があったが、家では停電のため情報がない。娘は「水とか食糧を近くのコンビニへ買いにいく」と言ったのを「危ないから」と止めた。でもその時に行っておけば良かったのだ。結局、停電で信号もついてない道を水を買いに車で15分も走ることととなり、大変な思いをさせた。ありがたいのは近所の方々や友達が心配して子供たちに支援物資を届けてくれたこと。遠方に住んでる妹夫婦が高速道路を使い駆けつけてくれて本当に助かった。電気がないことで携帯の充電は出来ず、冷蔵庫がただの箱状態。水がでないのが困ったようだ。ガスはカセットコンロがあったので煮炊きはできたようだ。自宅は電気の復旧が遅かった地域なので、子供達は電気が復旧した友人宅に泊めてもらい真っ暗い家には帰らず済んだ。ぼんちゃんはとかげなので温度が大事。娘がカイロを使って温度管理しながら見てくれて停電をしのいだ。
地震から一日経過すると、病院では非常電源の為、節電で毎日就寝が19時(笑)早すぎ。テレビ禁止という地獄。テレビで見たような医療搬送用のヘリコプターが行き来してて、一階のホールには緊急搬送された方の処置場所が設置されてて、物々しい感じだった。
そして病院食はアルファ米と缶詰?のようなおかず。アルファ米は…10日ほど続き、アルファ米が無くなったら大きなビスケットが五枚、ご飯代わりに出るように。最初の2日は病院内のコンビニもやってたが品物が無くなり閉店。買っておいたカップ麺食べたりしたのを覚えてる。まともな病院食になったのは2週間くらいかかった。勿論、地震後すぐには放射線機器の安全確認が必要で治療できず、入院は3日延びた。
病院であの規模の地震に遭遇は、なかなか無い経験。病院よりも震源地に近い自宅では地震がトラウマになるほど怖かったらしい。娘は今でも地震に備えてリュックに必要なもの揃えてる。続きは明日。
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