前回の続き
まずは、手術直後
「終わりましたよ」と声をかけられ、麻酔から目覚めた。
この時は朦朧としてて、でもまだ手術室だった。
少し記憶が曖昧で、病室へ戻ったら家族がベッドの周りにいた。
ここでやっと「あ!生きてる。生かされた!!」と正気に戻る。
とにかく、時間が遅く子供達が帰るのに心配で「気をつけてね」と言ったのは覚えてる。
ここからは、とにかく頭が痛い。中も頭の皮膚も。
脳水が減ってたので、ベッドは45度くらい。で、両鼻には管。なので口呼吸。
しかも、鼻血やら鼻水が喉に落ちるし苦しい。
咳き込むがこれも、命の危機なのだ。
咳こむと手術した硬膜?くも膜が圧で破ける可能性がある。なので「いきみ」は厳禁
この夜は辛かったな。もう一度あの体験をしろと言われたら無理かもな
頭の皮膚は痛い。っていうか痺れてた。口も乾く
身動きはとれん
という間に胃に落ちた大量の血液で突然吐く
夜中に血まみれ。でも起き上がれないので、看護師さんが二人で着替えと体拭くのとベッドのシーツの取り換え。 大変だった。
口の中をスポンジみたいので、ぬらしてくれるけど乾きはすぐにくる。
そんなうちに朝になった。
ゆっくりと起き上がると頭痛。そして、膜の代わりを取った太ももの傷がめちゃくちゃ痛い。
トイレに行くように言われるが、あまりの痛さに行けず管をもう少し入れたままにしてもらう。
飲み物がOKになり、大好きなお茶を飲むが味がしない。ニオイがないのだ。
あの衝撃は忘れられんな。
個室だったが隣の部屋のジジィがやたらうるさくで、迷惑だった。
痛いのも辛いのも、私だって!!なのにな。
痛いと叫べるそのジジィは明らかに私よりも元気だった。
食べないと点滴も抜けないと看護師さん。仕方なく吐き気するなか、お味噌汁を口にした。
でも、人間がすごいと思ったのは食べると気持ちも変わる。これは不思議。
トイレに行けるようになり、ウンチはいきんではダメなので「下剤」を飲むことに。
これはしばらく続いたな。
個室から大部屋へ
少し歩けるようになり、ベッドごと移動。
移動先では、私よりも重篤な病状の癌患者さん。しかも私よりも若い
で、隣の人は私よりもかなり年上ながらも何度も入院してる方
話を聞くと、普通の病気では入院できない病院なのだなと思った。
同じ病室の方達はとても良い人で、救われた。
今も元気でいてほしい。切に願う。
病室が変更になった日に術後初めての診察で鼻の管を抜く日だった。
たくさんの人がいた診察室。担当の先生二人が管を慎重に抜いて、カメラを入れた。
「傷口は綺麗で大成功です!!」とおお喜びなお二人。私の血だらけで固まった鼻の周りを拭くこともせずに興奮気味に話してた。
「部屋に戻っていいですよ」え・・このままなん??
部屋に戻り鏡を見ると、ひどすぎた(笑)
で、シャワーの許可がおりたのですぐにシャワーへ。
点滴は針だけ残してたので、不自由ではあったけど最高だった。
髪の毛はベタベタで2回シャンプーしたな。
まず、ここで私はきずいた。
運が良い!!手術は長く難しいものだったけど、鼻の穴からの手術で腫瘍が取れたので開頭しなくて済んだこと。後遺症と呼べるほどの不自由はないこと。比較的回復が早く元気だったこと。
テレビで広島の大規模地滑り等々の災害や事故や事件を見て、亡くなる方がたくさんいるのに、私は生きてること。
本当に運がいいなと、今でも思う。
術後2週間で、一旦退院して頭の膜が固まったくらいに再度入院して放射線の治療を行うことになった。
退院しても、マスクをして鼻には綿球を入れて過ごす。常に口呼吸だった。
痛み止めを服用しながら、思ってたより体力が回復しないのにイライラしながら過ごした。
家の中は荒れ放題。2週間でこのありさまとはと愕然とした。
のちに、この愕然よりも絶望に近い荒れ放題を見ることになる。
コメント