「嗅神経芽細胞腫というがんになって5年経った ⑤」ってタイトルですが、ブログをさぼってたので実際は7年経ってます。
中途半端なので、前回の続きから
そうです。あの地震
北海道あつま町震源の大地震
北大病院は震度5弱
浅い眠りだったので、壁がギシッときしむ音で目が覚めた。
ベッドから振り落とされそうなほどの横揺れ
私は無意識に「怖い」って言ってたらしい。
その声で隣の方が起きて、驚いてベッドから落ちた。
私は揺れながら、直勘で地元の方が大きい地震なのではと思い、すぐさま自宅に電話した。
本来、部屋での携帯電話の通話は禁止なのだが、そんなことは言ってられず。
電話に出た娘は経験したことない揺れで動揺してたが、ガスの元栓を閉めるのと水がでるのであれば、お風呂に貯めておくことを指示。
窓側だった私は、カーテンを開けて外の様子も見ながら電話してた。
札幌の夜の明かりがパッと消えて真っ暗になり、当時建設中のマンションの屋上にある赤い光だけが点滅してたのを鮮明に覚えてる。
異常事態なのは一目瞭然だった。
病院では、停電後すぐに非常電源が作動して看護師さんが安否確認に回ってきた。
うちに家庭事情を知ってる看護師さんは、家に電話するようにと言ってくれたので、ここで再度電話。
テレビを見ながら通話した。
家もすぐに停電になったらしく、水も出なくなったとのこと。
飲み物を確保しなきゃならないと言ってた。
心配だが何もできない。こんなタイミングで何故!と思った。
幸い、ご近所さんや子供たちの友人、私の妹夫婦が助けてくれて、大きな困りごとまでにはならず。
助けてもらった方々には感謝しかない。
病院では、節電のため就寝が19時。
テレビも部屋で個人で見るのは禁止
放射線治療も、機器の安全が確認できるまでできない状況。(入院も3日のびた)
食事は悲惨で、アルファ米と何かわからないおかずは一口
アルファ米がなくなると、デカいビスケットが5枚と何かわからないおかず。
10日くらい続いただろうか。
歩ける人は、1階のコンビニに買い出しに行ったんだけど、これまた激混み+商品不足で殺伐としてた。
そんなイレギュラーな経験もありで、2ヵ月弱の入院生活だった。
いろんな事があったのだけど、7年経ったら忘れる。
時間が経つのは早い。
私が運がいいと思うのは、7年経って生きてること。
その間、娘は結婚。息子は高校生から専門学校、そして就職。
娘も息子も仕事してしっかり生活してる。
私は、首に転移して手術した後は転移なく。大腸ガンも治った。
体調は良い日も悪い日もあり、歳相応なのだと諦めてる。
とはいえ、就職して2年目までは体はキツかった。
今はその時よりは回復してると思う。
自分の感覚では2年程しか生きられないのかもと思ってた。
息子が専門学校を卒業するまでは、何とか生きてたいと。
でも今、生きてる。こんな未来は想像してなかったな。
悔いなく生ききる。
今もそう思って生きてる。
一日6時間のパート。土日祝日休み
市営住宅に住んでるからこそ、ギリギリ生活できてる。
貯金ゼロだけど、生きてるってことは素晴らしい
出来ること何でもやってみたい私。
のこりの時間楽しもう



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